寺内フォトアルバム

本堂内説明

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本堂には正面真ん中に法然上人の御念持佛の阿弥陀如来(弥陀・観音・勢至三尊)が安置され、その右に法然上人左に親鸞聖人が安置されています。そしてその左には、慈鎮和尚(慈円)が安置されます。慈円は青蓮院の第三世で、親鸞聖人が得度させた時の剃髪の師、また叡山で修行されていた時の庇護者でもあります。天台宗の座主を何度も勤められた高徳の師で、この吉水の地を大変愛しておられ、終生の念願であった法華懺法を修する道場「大懺法院」を建てられました。またこの方のお兄さんが法然上人の強力な庇護者でもあった九条関白藤原兼実公です。外陣正面に「吉水草庵」の額が掛けられています。之は東本願寺の23世 (彰如上人)大谷光演ご門主の筆で、この地こそ親鸞聖人が法然上人に遭われお念仏を戴かれるようになった、浄土真宗にとって一番大切な場所であるとして書かれたものです。法然上人に遭われなければ親鸞聖人のお念仏は無かったかもしれません。後に親鸞聖人の御廟を作られた聖人の末娘さん覚信尼も亡くなって安養寺に葬られたとの説もあり浄土真宗と安養寺は深いご縁で結ばれているようです。


吉水弁天堂

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安養寺山門の南、一段下に弁財天が祀られています。この弁天様の所に霊水が沸いています。よい水ですから「吉水」と呼ばれ、この辺りの土地の名称ともなりました。もっと広い範囲では「真葛ケ原」の名前があります。その北東の一郭が吉水と呼ばれていたのです。法然上人はこの吉水のほとりに庵を結ばれたので「吉水草庵」と呼ばれたのでしょう。生活するには水は必要不可欠ですからその間の事情は窺がえます。この弁才天は慈鎮和尚が安養寺の鎮守として祀られました。後小松帝の頃琵琶法師源照がこの弁才天に願をかけ技芸上達に励んだ所その名声が天聴に達し紫衣を着ることを許された。とか粟田口の刀工藤四郎吉光が弁財天の向い槌で名刀を鍛えあげた。その他多くの奇瑞が伝えられています。弁天様は七福神の中でもただ一人の女神で、容姿うるわしく、音楽、技芸、福徳、財宝その他あらゆるものをお授け下さり、弁舌の才を助け、知恵を与え,怨敵(おんてき)を除く神様ですから、おかげを頂いた人は数多いことでしょう。 ”この恋の叶わぬ時は円山の弁天様の池のイモリのつがいを採って、真っ黒黒焼き、大和のほうらく……想うお方にふりかけしゃんせ。この恋叶います”と言う唄が祇園に残っているようですが、粋なお計らいもあるようです。このお堂の後ろ側に慈鎮が雨乞いの奇瑞を得て建てられたと言う国指定重要文化財の「多宝塔」があります。慈鎮(慈円)はこの土地が本当にお好きで自分の生涯掛けての大事な修法{法華懺法)を修する道場「大懺法院」を建てておられるので多宝塔があるのも不思議では無いと思います。慈円の歌に「風そよぐ真葛ケ原の夕暮れは、都に知らぬ秋の山風」がありますが、当時は街中から離れた幽邃な所だったのでしょう。円山が賑やかになったのは室町期以後時宗になってからで、それぞれ阿弥の名を持つ六坊が建てられ、文人墨客の集う所になってからで六坊の一つ重阿弥は赤穂浪士が円山会議を開いたことでも有名ですが、現存せず、この弁天堂前にあったようです。六坊は現在左阿弥だけが料亭として残っています。


大津事件由来の書院

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本堂右奥に書院がありますが、この建物は今のホテルオークラ京都の前身京都ホテル(常盤ホテル)にあった建物で、明治24年帝政ロシアの皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ(後のニコライ二世)が甥のギリシャ王子ジョージとともに親善訪問として来日、5月9日に入洛し常盤ホテルに宿泊、翌日は大宮御所で歓迎を受け、翌11日は人力車で大津に入り三井寺での美術鑑賞、太湖汽船での琵琶湖遊覧などを楽しみ、県庁で滋賀県の物産を観賞の後昼食。1時過ぎにまた人力車に分乗して京都に向け帰路に着いたが,丁度京町通2丁目辺りを通行中、沿道を警備していた巡査の津田三蔵が突然後ろよりニコライにサーベルを抜いて斬りかかり後頭部二ヶ所に傷をおわせました。津田は周囲の者に取り押さえられましたが、ニコライの傷は命には別状なかったとは言うもののかなり深かった様です、ニコライは応急手当の後県庁に戻りJR膳所駅より列車で京都に戻りホテルに入りました。ニコライの遭難の報に、日本政府は震えあがります。ニコライの傷の深さより、政府首脳に与えた衝撃のほうが、はるかに深刻でした。国際問題に発展することは避けねばならない。翌日の夜には天皇はじめ政府首脳が、京都に集合していました。明治天皇は取り敢えず、ニコライの見舞いに常盤ホテルを訪れましたが、ニコライはすでに就寝中とて面会を断られ、、翌朝改めて面会が許されました。熱烈歓迎の雰囲気が国民総懺悔に変わった大事件でしたが、穏便に収まっのは僥倖と言うべきでしょう。京都ホテルとしてはご自慢の座敷でしたが、時代の趨勢から大正時代には洋館に建てなおすことになり、そのまま毀つて終うには忍びないと当寺に寄付された歴史的な建造物です


春秋四季の眺め

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円山と言えば桜の名所。有名な枝垂れ桜は近年樹勢が衰え心配ですが、まだまだ見事なもの。公園にはソメイヨシノその他樹種も多くそれらを尋ねてのそぞろ歩きも一興。樹下に毛氈を延べて吞めや唄え饗宴が夜遅くまで続く事の許されるのもこの時期ならではでしょうが、安養寺まで登り詰めるとその喧騒も別世界のことのように聞こえます。東山に山桜のあることを発見するのもこの時期です。               「京の四季」の歌詞には濡れて紅葉の長楽寺とありますが、安養寺の紅葉もなかなか見事なもの、とくに石段を登り詰めて振り向けば、石段脇から門前にあるもみじ谷の美しさには目を見張る事でしょう。   早春には門前の梅林のほのかな香りに心奪われることと思います。

「露けしや真葛ケ原に石の階」これは本堂の前の広場に建つ桂樟蹊子の句碑の文ですが、自然に富んだ千年の静けさを残す寺域の佇まいを見事に吟じたものと思います。